第2章 韓国における儒教・小中華思想


 韓国思想の根幹は儒教(朱子学)である。そして中華思想から強い影響を受けた小中華思想が生まれ、この二つが韓国人の意識に深く根付いている。小中華思想は儒教とも結びつき、歪んだ優越感を生み、そこから様々な不整合を生み出している。

 儒教は孔子(前552〜479)の教えを核として、後世にそれを継ぐ儒者達によって拡充された思想である。孔子は乱世の中国に生まれ、武力による覇権争いを治めるためには、人倫と政治の中心に「仁」を据えることによって平和を回復しようとしたのである。よって儒教は「修己治人之学」と言われ、倫理と政治の二つの面が連結しており、不可分である。孔子の徳治主義は、家族愛を根本におき、これを国家にまで発展させて天下を治めようという思想である。そして孔子の死後、発展・成長し、五常(仁、義、礼、智、信)を核とした、その人間関係、政治体系、人生のあり方を指し示す教えとして東アジア全般に広がり定着した。

 この「仁」とは人間関係を表し、人間相互間の愛であるが、愛とは近親にあれば強く、遠くになるほど弱くなるものである。よって、序列のある差別愛のことを指し、宗教のような博愛や慈悲と言った無差別の愛ではない(朝鮮儒教の二千年 姜在彦 朝日新聞社)。つまり、儒教とは最初から差別を含んだものであり、皆が平等であるという思想ではないのである。
 これらを見てもわかるように、儒教は宗教のように「来世のために生きる方法を知る」のではなく、人とのつながりを根拠に現世の生き方を説いた教えである。一概に同列に「教」という文字で表しても、その本質は宗教とは大きく異なる。
 この儒教はその後、様々な人物によって解釈が加えられ、厳格な形に発展したものが朱子学である。朱子学は朱熹によって系統づけられ、それまで「仁」が重要視されていた儒教に対し「礼」を最重要視するようになった。「礼」の関係は言わば上下関係であり、中国の皇帝が臣民を統治するために都合良く系統づけられた、支配のための教えである。儒教が必要となる国家は、国内が乱れ、国民が強い不満を持っていた。それを押さえ込むためにその教義を利用したのである。
 朝鮮には13世紀に朱子学が伝わり、その後国学となった。しかしこの朱子学の「礼」は、相手に対しても同様の「礼」を求めるものであり、文化の違う他国にも適用しようとしたため、応対が違うだけで礼を失するとし、他民族を差別の対象にしてきた。日本への対応などはその典型である。
 そもそも儒教とは閉鎖された空間において、その上下関係、人間関係を問う教えである。すなわち、国家が民衆を支配するための体系であり、鎖国している中においては秩序を保てるが、儒教ではない民族など外部との接触は一切考慮されていない。元々差別視感の強い儒教では、中国・朝鮮以外の国は野蛮な獣としてみており、差別はおろか、人間扱いすらしない。つまり外国や他民族は敵、もしくは夷狄として見下す。特にこの朱子学では礼を尽くす対象に強い差別があり、自身にとって愛のないものには礼を尽くさないし、礼を失するものに対しては礼を返さない。言い換えれば、儒教国家以外の文化は差別し、蔑む傾向がある。中国人、韓国人の強い他国蔑視はこの思想から来るものだ。

 儒教国家においては、徳というものが重視される。何か不幸や困難が訪れた時、それはその者に徳が無かったためだとし、人格に問題があるのだと判断された。また、それぞれの階層 − 王、儒者、農民、農奴など − によって、相応しい人間である事が求められ、それを逸脱することはその徳がないと判断される。王なら素晴らしい徳を有し、やることは全て正しく、逆に奴隷身分なら徳はない。それぞれの職位に相応しい能力と品格を持ち、足りなければその身分にいることは認められない。つまり、今いる自分の待遇=身分は絶対なのである。もし過ちを犯したとしても、自分のその非を認めた瞬間、自分は今の立場より格下の階層に陥落すると考える。逆に認めなければその地位に居続けられる。
 李氏朝鮮時代、朝鮮の一般民衆は非常に抑圧された生活を送っており、生きるのが精一杯だった。しかし(建国当初は)科挙試験で合格すれば特権階級(両班)になれるとあって、誰もが両班に憧れ、いつしかその官位でない者でも両班の振りをして街をフラフラ歩いていたことが記録されている(朝鮮旅行記)。つまり自分を上に見せようという見栄が非常に強かった。彼らがもし過ちを犯してしまったら…そこでその過ちを認めることは、自分は徳が無く、両班に相応しくない人間であると言うことを自ら表明することになってしまうため、絶対に認めることが出来なかった。だから何が何でも自分が正しいと言い張った。これは現在にもそのまま残っており、韓国人や中国人が失敗や犯罪をしても絶対に認めない、平気で嘘を突き通そうとするのは、この儒教の強い影響が残っているためなのだ。反省などしたら、身を落とすと信じているからだ。だから、どこまでも傲慢に振る舞おうとする。

 両班は朝鮮において最高の身分であり、何をしても許されるものと信じ込んでいた。国王と違い、貴族・特権階級に当たる彼らは自由に振る舞える立場であり、だから略奪や横暴なことをしても罪に問われなかったし、誰もがなりたがった。唯一無二の権力者だと疑わなかったのである。両班は自身を神以上であると信じ、だからこそ両班には宗教を信じる者はいなかった。それほどの「完璧な身分」なのであるから、自分達がすることは完璧であり、何よりも優先され、誰からも崇められなければならず、間違いなどあるはずがない、となる。「両班になりたいと勝手に振る舞っている者」も、その傲慢な振る舞いを真似し、自身が特権階級であるかのような錯覚をする。現在の韓国人が世界で強烈なほど傲慢に振るまい、特別扱いを求め、やりたい放題であるのはこの延長線上で、自分達が世界一と思い込んでいるためだ。後述する小中華思想と合わさり、この思い込みがあることを理解しなければ、彼らの言動は理解できない。

 儒教では倫理と政治が不可分であることは前述の通りだが、韓国では情を重要視し、それが儒教の倫理と関わり、政治とつながる…つまり、韓国において情=政治であり、感情がそのまま政治に反映される。つまり法治国家の体制を取っているが、事実上の人治国家である。だからこそ、憲法よりも重要な情緒法があると言われ、通常の国際関係では考えられないような、感情による内政干渉や他国非難を当たり前のように行うのである。反日デモなどを見ているとやり方も内容も常軌を逸しているが、韓国人にとってはそれは普通であり、取り締まる対象にもならない。
 この儒教を焦点にして日本と韓国を見てみると、重視すべきは古代である。日本に文化を伝えたのだから韓国は儒教思想で兄に当たるとし、日本を常に下に見てきた。これが現代においても日本を見るときの判断基準である。この意識から、常に日本を侮辱するような言動を取ってきたのである。韓国が格上なのだから、日本こそが韓国に礼を尽くすべきという考えなのだ。しかし現実を見ると、日本の方が経済的にも発展し、現存する文化財の数も多いことが、彼らにとっては「日本は格下のくせに生意気だ」と言うことになるのである。
 だが、歴史をみる限り、日本は常に半島より上の立場であり、半島よりも下であったとされる時期はない。しかも、日本に伝わったのは「中国」の文化であることも注目すべきであり、「半島」の文化は日本にはほとんど入ってきていない。つまり文化的にも半島が日本より上だったと言うことはないのである。これがまた彼らは気にくわないため、居丈高になって日本を属国扱いしようとするのである。

 次に、小中華思想についてみてみよう。その前に、基となった中華思想を知る必要がある。
 中華思想とは、中華民族で構成される国家と文明が世界で一番優秀であるとする思想である。中華民族の支配する地域から離れるに従い、文明もなく人間ではない生物になるとされ、優れた中華文明をその地域に伝播し教化することが必要であると考えるものである。簡単に言えば、中華文明がもっとも優れており、それを発明した中華民族は人類の頂点に立ち、その文明を周辺の劣る国家に教え従えるべきだとする思想だ。
 これは儒教とも深い関係がある。儒教における「仁」とは、差別愛である。前述のように近ければ分相応の礼を尽くすが、離れるほどにその意識は消えていく。中華民族の地域については礼儀を尽くすが、そこから離れるほど礼を尽くす必要はなく、愛も無くなる。よって、差別し蔑視し、人間として扱わない。そして自分たちが上にいて、周辺国家や民族は下であるとみなす。華夷秩序と言われる、主従関係・朝貢関係、そして支配・非支配の関係となる。そこに傲慢さが出てくるのである。
 さて、朝鮮半島にその儒教が浸透すると、華夷秩序に組み込まれた結果、中華思想が世界で最も優れたものという認識が広まった。そのため、高麗は中華民族の国家・明を仰ぎ、そして自らもそれに同化することで、その恩恵に浴しようとした。
 だが、明と朝鮮が蔑視していた女真(満州)が明と敵対し勝利すると、明が滅び、中華民族から満州族の国家(清)に変わった。これにより、当時の李氏朝鮮は本来あるべき主を失ったことで「中華文明は滅んだ、それを正しく受け継いでいるのは朝鮮である」として、その後継を自認した。これが小中華思想である。中華思想をそのまま朝鮮に置き換えたもので、朝鮮民族が世界で最も優秀であり、文明も世界一だとする。朝鮮が世界一であるから、世界を従えるのは我々であると考え始めた。現在の韓国人の意識の根源はここにある。これが特に戦後、民族主義が高まってくると強烈に発信され始め、覇権主義(竹島、対馬など)、内政干渉と、特に日本に対してやりたい放題を行うようになった。日本を自分達の配下だとする意識の表れである。彼らにとって、日本は奴隷以下に過ぎないのである。両班が民衆に何をしても許されたように、日本に対しては何をしても当然で許されると信じ込んでいるのだ。人間ではない「何か」に何をしようと、良心の呵責などあるわけもなく、どんな差別や暴力をしようとも、それは許されて当然であると考える。

 また、彼らは頻繁に謝罪と賠償を要求するが、言うがままに対応することは、日本が韓国に服属したことと受け取る。すなわち日本統治時代の事で謝れば謝る程、自分達が上だ、日本は下の身分であるという認識を新たにし、さらなる傲慢な要求を突きつけてくるのである。つまり、日本が謝るほど、日本の立場は悪くなる。

 なお、この朝鮮における儒教及び小中華思想は、中国における儒教と中華思想にも非常に強い関係性がある。結論で述べると同じような方法で、中国に対しても韓国同様に接することが大切だ。
 韓国では他に鬼神信仰というものもあるが、対日視感とは直接関わらないのでここでは割愛する。





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